撮影:野口浩史 提供:アートフロントギャラリー
プランニング図
場所をつくる窓=絵画
五十嵐太郎(東北大学教授/建築史・建築批評家)
窓と絵画は意味論的に同じ機能をもつ。いずれも閉ざされた箱において異なる世界を現出させるからだ。もちろん、窓は壁に穴をあけることで部屋の外部という現実を可視化し、絵画は額縁の中に仮想の空間をつくりだす。ポンペイの壁画には風景を描いたものがあるが、それらは窓のように配置されていた。興味深いことに、17世紀のオランダでは、窓だけではなく、絵画にもカーテンがかけられていたが、そうした状況は当時のトロンプ・ルイユでも確認できる。またマグリットの作品に、これは窓なのか?それとも絵画なのか?を宙吊りにするような作品があることはよく知られていよう。現在、コンピュータやテレビの画面も、同じような役割を担っている。かつてのブラウン管は、物質性があるガラスの塊だったが、いまや大型かつ薄型のフラットなスクリーンに移行し、やはり部屋の中に異世界をもたらす。が、絵画的なものは任意の風景を描き、展示空間の場所と関係ない。
一方で窓は、その場所から何が見えるかを明らかにする。そうした意味で、場所性を導入する原田郁の絵画は、窓的と言えるかもしれない。建築において大きな全面ガラスが技術的に可能になったのは近代以降だが、今回、エントランスで彼女は壁全体を窓=絵画に変えるという。いや、床面さえも、窓=絵画になるのだ。またもうひとつのギャラリーでは、絵画群を通じて、仮想の場所が現実の展示空間に重ねあわせられる。原田の作品が写実的な絵画ではないことも重要だろう。ルネサンスの透視図法以来、絵画は二次元の中に現実のような空間を再現することを志向したが、彼女の絵はまぎれもなくコンピュータの世界である。つまり、リ アルな場所と結びつきながら、現実の模倣ではなく、もうひとつの世界を現実に侵入させる。
ところで、以前、レゴランドでブロックの集積でつくられた等身大のキャラや動物が本物の人間と混ざる風景に遭遇し、現実とデータ的空間の共存を感じた。原田の絵画に人間的な形象は不在だが、向こうからこちらをのぞく気配も漂わせるのだろうか。
NEW DIMENSIONS
開催:ART FRONT GALLERY
協力:興和サイン株式会社






































